第壱食目、素で喰らう -しょうゆ-

さて第一食目です。


全三味、しょうゆ、しお、みそ
豪華なたぬ先生たちですが、何を手始めに喰らうか迷ってしまいます。
ひとしきり考えましたが、やっぱり手始めは「しょうゆ味の素ラーメン」でしょう。


で、さっそくご対面。

二色刷りのふくろがいいですね。
色合いがなんか週間少年ジャンプのパートカラーを思い出させます。
北斗の拳とかブラックエンジェルスとか、パートカラーの時はグロさ倍増でした。
それから、上にある「登録 山一 商標」ってすごい好きです。
こういうの見る事が少なくなりましたが、かっちょいいと思うんだけどなー。



ああ、たぬ先生たちも「おなかがポンポコポーン」って楽しそうだなぁ。


って、あれ?
たぬ先生のお顔。。。

ちょと独特すて、顔のパーツが把握し難いかも。



えっと、ここが目と鼻と口でしょ?
ここが耳だとすると……。



この頭の上の楕円二つは何でしょう?



頭の上の三角は、こう見れば何かを担いでいるでは?と見えるんですけど……。
この二つは何ですかね?


ちまきか何かを結わえているのか??
それとも担いでいる何かの一部分なのか?
わしが「耳」と解釈したパーツすら「耳」なのかどうかも、あやしい……。
うーむ。



つーか、先生!!

モロっス!!
それはヤバいっスよ。



あーそうか、狸のシンボルだから良いのか。
なるほど。見まごう事なき狸って事なんスねー。

はー。ビビリましたよ。




袋の中身はこんなかんじ。

湯揚げメンと粉末スープ。
男は裸一貫をかんじさせる。うん。ソウルフル。



あー、ハラ減ってきた。
で、作ってみましたよ。





申し訳なさげ程度の青ネギが袋麺の醍醐味。
イイ感じッスね。


喰ってみる。


おお意外と、んま〜い。
めんがもちもちっとしてる。
ノンフライ麺のくにくに感とは、また違った食感。
ほんと「もちもち」ってのが、どんぴしゃり。
うん。こりゃ、んま〜いッスよ。
辛ラーメンまではいかなそうだけど、ある程度煮込みラーメンにも耐えられそうなもちもち感。
スープは結構あっさり目でコクはあんまりないけど、逆に醤油臭くなくて良い感じ。


どんな具を入れても良い感じがします。
かなりイケルんじゃないッスか?
一気に喰っちゃいました。



久々の袋麺だったんですけど、旨かったです。
袋麺って、男の子なら一つや二つ思い出があると思うんですよね。
わしもかなり袋麺にはお世話になった人間なんで、喰いながら色々思い出しました。


ナベ一つで作れるし、安いし簡単だし、
やっぱ、男は袋麺ッスねー。

序・百八煩悩のこと

先日、大量のポンポコラーメンを購入したので、108の煩悩に見立てて喰おうと思ったのですが、
108の煩悩って何ぞや?と思い、ウェブを検索してみた。


煩悩はわかる気がする。
外人がよく言うアレ



ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。



ウィキペディアによると煩悩の数は、

時代・部派・教派・宗派により数はまちまち

煩悩 - Wikipedia

なんだそうだ。


百八ってのは、倶舎論*1の煩悩の列挙例で、九十八随眠(ずいめん)*2十纏(じってん)*3を加えて108と数えるそうだ。
キリスト教の七つの罪源みたいに「傲慢」「嫉妬」「憤怒」……と単純に数えるモノでは無いみたい


ふーむ、なんか面白そう。
引き続きウェブ検索して幾つか読んでみた。
宗派とかで微妙に異なるみたいだけど、個人的にまとめてみたよ。
(年末にあわせてエントリアップしてたら、少しはタイムリーだったんだろうけど、
 なんかそーゆーの、恥ずかしくて苦手なんスよ。)


煩悩

仏教の教義の一つ。
身心を乱し悩ませ、智慧(ちえ)をさまたげる心のはたらき。
 →人間の悩みの原因となる欲望

煩悩の数

時代・部派・教派・宗派により数はまちまち。
倶舎宗では 88 と 81 (88+81=169)
唯識宗では 112 と 16(112+16=128)


倶舎論の列挙例では、九十八随眠に十纏を加えて108と数える。

九十八随眠 −根本煩悩・三毒と六隋眠と十の煩悩−

修行によって消しうる根本煩悩を修行の段階に応じて列挙したものを九十八随眠(ずいめん)と言う。


根本煩悩を大きく6つに分けて六隋眠とも言う。

  1. 貪(とん) むさぼりの心
  2. 瞋(じん) 怒りの心
  3. 痴(ち) おろかでわからずやの心
    (この3つを三毒三悪と言う*4
  4.  不信の心
  5.  他と比較して高ぶったり卑下(ひげ)する心
  6. 見(悪見) こだわった物の見方
    このはさらに5つに分類できる。
    1. 有身見(うしんけん) 我執の心。我が身と人の身、我が物と人の物、をきびしく分かつ心
    2. 邊執見(辺見:へんけん) 一辺に固執する心
    3. 邪見(じゃけん) 因果を否定する心
    4. 見取見(けんじゅけん) 自分の考えに固執する心
    5. 戒禁取見(かいこんじゅけん) 自分の行動に固執する心

これらを合わせて十煩悩(十隋眠)と言う。
この十煩悩を修行の段階で分けて九十八とする。

九十八随眠 −修行の段階での分類−

根本煩悩を修行の段階で分ける。大きく分けて見惑と修惑。

見惑(けんなく)
智慧(ちえ)による三界の四諦(後述)の煩悩を断ち切った修行段階を見道という。
その修行段階で断ち切るべき煩悩。
見道の地位をうると消える煩悩
修惑(しゅわく)
見道の位に達した後、具体的現象に対して繰り返し修行を続ける段階を修道という。
この修行段階で絶つべき煩悩。
一生涯起こりうる煩悩


そして見惑を三界に分ける。

  1. 欲界 欲望(色欲・貪欲・財欲など)にとらわれた生物が住む世界
  2. 色界 欲望を離れた清浄な物質の世界。しかし情欲と色欲はある
  3. 無色界 欲望も物質的条件も超越し、ただ精神作用にのみ住む世界

また各三界をそれぞれ四諦(したい)*5に分ける。

    1. 苦諦(くたい) 人が生きるということは苦であるという真理
    2. 集諦(じったい) その苦の原因は人間の執着にあるという真理
    3. 滅諦(めったい) この苦を滅した境地が悟りであるという真理
    4. 道諦(どうたい) その悟りに到達する方法は八正道*6であるという真理


見惑は (界) x (諦) で 十二 に分けられ、
これら十二を前述の六隋眠(六つの根本煩悩)のうち幾つかで分ける。
また、悪見(見)は前述五つのうち幾つかで分ける。*7
合わせて八十八となる。


修惑も三界と六隋眠(六つの根本煩悩)のうち幾つかで分ける。
分け方は

  1. 欲界  貪・瞋・癡・慢
  2. 色界  貪・癡・慢
  3. 無色界 貪・癡・慢

合わせて十となる。



こういった分類の仕方で九十八随眠となる。

十纏 −抹消煩悩−

枝末煩悩*8のうちでも重いとされるもの10種を十纏(じってん)と言う。

  1. 無漸(むざん) 内面的に恥じないこと
  2. 無愧(むき) 人に恥じないこと
  3. 嫉(しつ) ねたみ
  4. 慳(けん) ものおしみ
  5. 悪作(あくさ) 後悔
  6. 睡眠(すいめん) 眠りに陥らせる精神作用
  7. 掉挙(じょうこ) 精神的な躁状態のこと
  8. ※沈(こんじん、※はりっしんべんに「昏」) 精神的な鬱状態のこと
  9. 忿(ふん) いきどおり
  10. 覆(ふく) 罪をおおい隠すこと

百八の分類表

ここに百八の分類表がありました。
浄土真宗やっとかめ通信 - 仏教青年 Q&A 百八煩悩
わしは、ここを元にして今回のまとめを書いてみました。

以下引用

煩悩修行段階三界四諦六隋眠十隋眠累計
九十八随眠見惑欲界苦諦1
2
3
4
5
悪見有身見6
辺執見7
邪見8
見取見9
戒禁取見10
集諦11
12
13
14
15
悪見邪見16
見取見17
滅諦18
19
20
21
22
悪見邪見23
見取見24
道諦25
26
27
28
29
悪見邪見30
見取見31
戒禁取見32
色界苦諦33
34
35
36
悪見有身見37
辺執見38
邪見39
見取見40
戒禁取見41
集諦42
43
44
45
悪見邪見46
見取見47
滅諦48
49
50
51
悪見邪見52
見取見53
道諦54
55
56
57
悪見邪見58
見取見59
戒禁取見60
無色界苦諦61
62
63
64
悪見有身見65
辺執見66
邪見67
見取見68
戒禁取見69
集諦70
71
72
73
悪見邪見74
見取見75
滅諦76
77
78
79
悪見邪見80
見取見81
道諦82
83
84
85
悪見邪見86
見取見87
戒禁取見88
修惑欲界 89
90
91
92
色界 93
94
95
無色界 96
97
98
煩悩十の枝末煩悩累計
十纏無漸99
無愧100
101
102
悪作103
睡眠104
掉挙105
※沈(※=りっしんべんに「昏」)106
忿107
108
また、別の分類の仕方はここ等にありました。 広済寺オフィシャル・ホームページ - 百八煩悩について

まとめてみて

宗教に関する事は中途半端な知識じゃイカンなーと思いつつも、まとめてみました。
西洋系宗教はミッション系の学校に通ってた事もあって、さわり位は知っていたんだけど、
東洋系はさっぱりです。
専門の方から見れば不十分な説明だろうし、教派・宗派入り乱れて読んでたので間違いだらけかもしれません。



でも、ウェブだけでも法話とか読んでたら興味が湧いてきました。
分類表を見てても何かしらの法則があるように見えて、詳しく調べれば色々面白そう。
少し時間をかけて本を読んでみたいなーと思いましたね。
機会があったら、もう少し突っ込んでみようと思います。



何にせよ、次からは108ポンポコ完食を目指しますよー。



待ち構えている、たぬ先生たち




参考/引用元
Wikipedia - 煩悩
Wikipedia - 般若
Wikipedia - 三界
Wikipedia - 四諦
林泉寺坐禅会 - これだけは知っておきたい仏教用語
養老山 立國寺 出世観音 - 悟りへの道「四諦・八正道」
浄土宗ホームページ - なむちゃんの用語解説 煩悩
浄土真宗やっとかめ通信 - 仏教青年 Q&A 百八煩悩
広済寺オフィシャル・ホームページ - 百八煩悩について
法泉寺ホームページ - ひとくち法話 108の煩悩
濁川(だくせん)の仏教&人生論ノート - 現生にて往生する
瑞雲院法話のページ - 煩悩(ぼんのう)の話

*1:インドの仏教論書

*2:根本煩悩。修行によって消しうる煩悩を修行の段階に応じて列挙したもの。

*3:枝末煩悩(根本煩悩に伴って起こる従属的な煩悩)のうちでも重いとされるもの10種。

*4:この三毒が煩悩の根源(人間の諸悪の根源)で、とくにその中の痴(愚痴)すなわち物事の正しい道理を知らないこと、十二因縁の無明(むみよう)が最も根本的なものとされる。

*5:釈迦が悟りに至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決する方法論

*6:正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の8つ。非苦非楽の中道(厳しい苦行やそれと反対の快楽主義に走ることなく目的にかなった適正な修行方法。)

*7:三界の各四諦により分け方が異なる。

*8:根本煩悩に伴って起こる従属的な煩悩。

ポンポコのこと

ある日、とあるネットで、とある貴婦人に
ポンポコラーメン」という喰い物があるとお聞きした。


ポンポコラーメン
どうやら名古屋界隈で古くからある袋麺らしい。



あーそういえば、面倒な時の飯はカップめんばかりで袋麺なんてもう数年喰ってないや。
チキンラーメンはたまに買うけど茹でるの面倒で、そのままバリバリ喰っちゃってるし。
最近のカップめんは、変にグルメ気取りで何だかなー。
値段が高いばかりで、
エビや!目出度いエビが入っとれば売れる!」って名言のカップヌードル百福魂の方が良いじゃねーか。
独り言ブツブツ。


中島みゆきの「地上の星」を歌いながら、ネットで調べてみると。
愛知県の三河地方でしか買えない
販売エリアは愛知県の東側から静岡県西部の限られたお店
私が小学校の頃もこの袋なので、おそらく何十年も変わってない
ご当地とかレトロとか、
なんか、わし好みのかほりがプンプン。



♪ポンポコ♪
そのミステリアスで
♪ポンポコ♪
その何ともいえぬ親近感
♪ポンポコ♪
わしの出っ腹の状態を見透かしているかの様な
♪ポンポコ♪
あー、そーいえばハラ減ってきた。


てな訳で早速購入
楽天も便利だけど、直販しているなら値段とか関係無しで直販で買うよ。わしは。



箱買いしちゃったので、6食 X 6袋。
しかも3味。
えっと、6 x 6 x 3 は……。
108?
うぉ、そんなになるのかー。
考えも無しに買っちったw


しかし、そこで神の声。
「しかし108食ってすごいな。煩悩の数と同じやわ・・・。」
おおー。そういえば!
Thank you for Madam !
なんかネタ臭がして来たよー。



はてダを初めて数ヶ月。
書くネタが無く、
気が付くと下書きには、
やれ、今日のウンコはキレが良かったとか
やれ、今日のウンコは何色だとか
今日のウンコは無臭で清清しい気分だとか
ウンコを使ったfuckコミュニケーションだとか
糞詰まりの時のLifeHackとか
ウンコしかネタはねーのかよと自分に絶望したトコロだったのです。


これで、わしも規定投稿数に達する事が出来れば、
はれて、はてなダイヤリー市民になって、
はてなユーザキモイ(HK)とか言われる権利を得るわけですね!
うれすいーな。



てな訳で、108煩悩完食するまでチラシの裏の深淵は続くのれす。





やってきた、たぬ先生たち




そーらにそびえるクロガネのしろー

かぶりもののこと

昔から、かぶりものが好きで々々。
お面や、着ぐるみ、帽子やパンスト、もう大好き。


部屋を整理してたら、昔の写真とか出てきて、
何かしらかぶっている。

スキンヘッドにしていた時期も長かったからなんだろうけど。


そういえば、真夏にロボコップ寝袋着て
女子高に水鉄砲もって乱入した事もあったなぁ。
写真残ってないかなぁ。


タンスには、スゲェいっぱい帽子とかあるんだけど。
もう干からびたジジィなので、オサレとかしないし、
無用になってしまったのです。
捨てようか。


たまに誰もいない自宅で、洗濯物取り込みながら、
カミさんのパンツで変態仮面ごっこするぐらいしか、かぶってないのです。
見つかってグーで殴られましたけど。
グーかよ。


ああ、チンコもかぶってるや。
ちょっとココロ救われたよ。

父のこと

「父母のこと」と言いつつ「母」に終始してしまった。
母の事を語るのは楽なのだが、父の事を語るのは難しい。
何故なら幼少期から青春時代にかけて、私は父とほとんど会話をする事が無かったから。




私の父は勤務時間以外は、全て家にいた。
友人がいる訳でもなく、仕事で職場に行く時以外は全て家にいた。
そして家では、一言も喋る事は無かった。


厳格で寡黙で勤勉で、そして暴力的だった。




夜は必ず酒を飲んだ。
そして吽形像の様な顔をしたまま一言も発せず、ただ本を読みながら酒を飲んでいた。


時折、家庭でも気に食わない事があると暴れる人だった。
私が物心付く頃には無くなっていたが、
酷い時は日本刀を振り回し畳等を切り捨てていたそうだ。


コレはネタとしてはオモロイらしく、今でもうちの親父はポン刀振り回すとネタ話にしている。
私は高校行くまで、父親という人間は家で日本刀を振り回すモノだと思ってた。まじで。




直接的な暴力は少なくなったとはいえ、家庭内は父の恐怖が全てを支配していた。
幼い頃の記憶は、毎晩声を上げずに泣きながら寝た事だ。
泣けば父は余計に暴れるから。


父に殺される夢を見て、夜中目が覚める。
そして、また泣きながら寝る。
自分にとって夜は苦痛以外何物でもなかった。


いつも「チッ」と舌を鳴らし、それが唯一の父の感情表現だった。
今でも人が舌を鳴らすと、私は背筋が凍る。
本当に喋らない。
一年に片手で数えられるくらいだ。
全て母が代弁していた。


「おとうさん、なんで怒ってるの?」
「ちゃんとゴハン食べないからよ。」




母も良い様に使っていたのかもしれない。




あるきっかけを過ぎるまでは、私にとって父は畏れと怨みの対象でしかなかった。
そして、父と同じように自分を憎んでしまっていた。
自分もこの人と同じような人生を歩んでしまうのではないか、という恐怖と共に。
恐怖と共に生きると言う事は、
他人を拒絶すると言う事だ。表層的に。


父みたいに成るまいと、幾ら社交的に振舞ったとしても、
強迫観念から興された行動はいつも不自然で、
結果を求める自虐的言動は、より私を孤独にした。


物好きな聖者が、傍に居てくれたとしても。だ。
(自分が気が付かなければ何を語られて何を癒されても、結局同じ事に帰結してしまう。
 ただ単純に俺が莫迦なだけだけど。)




私が25歳の時にきっかけが訪れた。
父が失明したのだ。
当時、私は実家から勘当状態だったので事の詳細は知らない。
見舞いには一度行った。




半年ぐらいたって父が退院し、私もちょくちょく実家に顔を出すようになった。
本を読む事だけが人生の楽しみだった父は、
ただちゃぶ台の前に座り、じっとしていた。
ありふれた言葉なのだが、その背中が非常に小さく見え、


私は少し寂しい気持ちになった。




今までは恨みと恐怖の対象でしかなかった父。
父は幸せなのだろうか。
父は幸せだったのだろうか。


人と接する事を極端に嫌った父は、
趣味といえる物を持たず、この世の中と自分の周りの人々に嫌悪し、
ひたすら自分の世界に生きていた。
彼は自分を愛し、そして嫌っていたのだと想う。
拒絶する事でしか自己を確立する事が出来なかったのだろう。


彼は俺で、俺は彼だった。




彼は父であると共に、独りの人間だった。




私は、極単純な、極当たり前の事に気付くのが遅すぎた。
人間だからこそ、他人に恐怖し、子供に恐怖し、家族に恐怖し。


父を人間としてみる事が出来て始めて、
あ、俺も人間じゃんって。




馬鹿な話。
だから、ヒトには話した事が無い。


色々な意味で楽になったし。
様々な野望を諦めて、凡人である事を実感した。




父の事を語るのは難しい。
自分の奥底に眠る元素を掘り起すのと同義だから。





追記;
今現在、父は母の献身的な看護と手術によって、片方の目が天眼鏡を使用すれば新聞の字を読めるくらいまで回復した。
彼は毎日、本を読み、目を休める為に横になり、気まま
(介護する母の言う事は一切聞き入れないので、母は恨み言ばかり言っている)
な生活を送っている。
しかし、あいかわらず人は(親戚を含め)拒絶しているようだ。


追記;2007-08-16
エントリ書きながらオープンにするかどうか迷った。
つまらなすぎて、チラシの裏過ぎるから。


酒飲ながら仕事してて、勢いで載せる。
酒の力に頼るのは情けないね。