父母のこと

わしの両親は健在で今現在は70代だ。
戦争体験はしているのだが、本人は戦後の人間だと言い張る。
(言い張るのは母だけだが。終戦時小学生の人間は戦後の人間なんだそうだ。)


別に最近話題に上がる戦時中の問題を語りたい訳ではない。


まぁ何と言うか、世代間差の事だったりする。




私は両親が30代後半〜40代にかけての子供だったので、子供の頃に叱られた記憶は

  • 味噌汁は残すな。
  • 人から何か貰ったらお礼を言って、私(母)にも報告しろ。私(母)も後日必ずお礼をする。
  • 金は貸し借りするな。金は借りた方も悪いが、貸す方も悪い。
  • 盗みは人を人でなくす。
  • 何事も腹八分目。
  • 若い頃の苦労は買ってでもしろ。
  • 人の振りみて吾が振り直せ。
  • 贅沢は悪くは無い。何事も経験だ。貧乏でも年に一度の贅沢は、「いざ」という場に立っても慌てる事も無くなる。

後半は耳慣れた言葉だが、全般的に古い人間との印象を受ける。
実際、身に染み付いてしまった私が友人や家内に説教すると「祖母の説教の様だ」と言われる。


じいさんっ子、ばあさんっ子だよ、わしは。と単純な話でもなく、
四六時中共に暮す両親がその様なモノだから、中学生(思春期・反抗期)のわしは反発しっぱなしだった。
しかも「叱るのは親の務め。躾けるのは親の義務」を地で行っている方だったから、
半端無い。


妥協点も無い。


話も通じない。


大抵、反抗期の子供と親が折り合い付かなくなると、
子供は家に帰らず、親は子供に干渉せず、と子供がグレるのだが、
当時のわしは、中途半端に母に影響されてたから、

  • 人様の家で夕飯を毎度ご馳走になるのは迷惑。夕飯は家で家族で食べる。
  • 同じく人様の家に何回も泊めてもらうのは迷惑。夜は家で寝る。

てな感じで、毎晩、飯と就寝の時は家に帰っていた。
その度に、また説教される訳だ。


時が過ぎる毎に覚えていった事は、
「無い妥協点を探す」
だった。
妥協という言葉は悪いが、憧れる世界がある子供の要望と、50年間信じ続けていた親の価値観が、
相容れるはずは無いのだ。


そこには論破という言葉は無い。




最近の団塊の世代に対する老害認定や、
横澤元Pの左利き発言に対する反応を見ていると、
私自身の考えとは少々異なる。


どちらが正しいかは判らない。


私自身も箸は右と教えられた。そして、それを苦だった人々の話も母から聞いた。
ただ、私自身は作法として箸は右であると思い続けるが、子供には強要しない。
今の世界が、その作法を重要とはしていないからだ。
しかし、作法としての母の教えも否定しない。


人に対する思慮深さと友愛、移り変わる世界への対応力、
そしてそれを備え付ける為の個人の向上心。
どれも素晴らしい物だ。
しかし、それから取り残された人々もいる事を忘れては良いのだろうか。


問題は、老人の余計な小言では無く、
たかが20年30年で、価値観がガラリと変ってしまう今と思うのだ。